『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読み返してみた(1)
今回の記事では、ミニマリストである佐々木典士さんの著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の一部を紹介していきます。(1)とさせていただいたのは、1つの記事で一気に紹介するのではなく、各記事(1、2、3、、、、)でポイントを3つに絞り、短くまとめて配信していくためです。
まず、今回の記事では、【ミニマリストの定義】、【ミニマリズムは目的ではない】、【誰もが最初はミニマリストだった】の3つのポイントについて順番に紹介していきます。そしてここで、この本のテーマ紹介します。それは、〈モノを必要な最小限に減らす、ミニマリスト(最小限主義者)という生き方。最小限のモノとの付き合いを通して、改めて幸せについて考える〉
・1つ目の【ミニマリストの定義】について
結論から言いますと、ミニマリストとは「本当に自分の必要なモノがわかっている人」、「大事なもののために減らす人」である。
持ちモノが100個以上あるから、ミニマリストではない。100個以下に減らしたから、ミニマリストである。という決まったルールはない。
何が「必要」か、何を「大事」にするかというのは人によって違う。「減らす」内容ももちろん違ってくる。ミニマリズムに正解はない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・2つ目の【ミニマリズムは目的ではない】について
モノを少なくすることは「目的」ではない。ミニマリズムはそれぞれが違う大事なものを見つけるための「手段」である。大事なモノを大事にするために、大事でないモノを「減らす」。大事なものに集中するために、それ以外を「減らす」。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3つ目の【誰もが最初はミニマリストだった】について
生まれた時は誰しもがミニマリストだった。必要以上のモノを握りしめるたびに、ぼくたちは自由を奪われていく。
モノは自分をほんのわずかの間しか幸せにしてくれない。必要以上のモノはエネルギーも時間も、全てを自分から奪っていく。実は、モノを減らすことで感じる清々しい気持ちは、誰しもがすでに経験したことがあるのだ。旅である。
旅に出かける前、パッキングに明け暮れ、いざ出発する時、何か忘れているように感じてしまうが、スーツケースを転がし始める。その時に感じる解放感。このスーツケースひとつあれば、しばらく生きていける。もしかしたら家に何か忘れたかもしれない。でも、必要なモノがあれば、その時に手に入れればいい。
宿泊先の旅館に到着し、畳に寝転がったときの心地よさ。旅館の部屋はキレイで、モノも少ない。だから旅館は心地よいのだ。旅館に荷物を置き、手ぶらで近所に散歩に出かけると、身軽にどこまでも歩いていける。
しかし、旅行の帰りの飛行機では反対の境地を体験する。出発した時は、きちんとパッキングされていたはずの荷物がスーツケースの中で散乱している。思い出が欲しくて各地で買ったお土産は、スーツケースに収まらず、紙袋を2つ両手に提げるはめになった。各地の観光地の入場券、レシートは、後で整理しようとポケットに突っ込んだまま。肝心の飛行機のチケットを手荷物検査になって探す。次第に自分でも、イライラし始める。
こんな風に手に負える以上のモノを持っていると、モノ自体に煩わされるようになる。肝心なことに手が回らなくなってしまう。
「お前は結局、お前が持っているモノに所有されることになる」