『嫌われる勇気』を読んでみた(1)
今回の記事では、『嫌われる勇気』の第3章の「承認欲求を否定する」について紹介したいと思います。
誰しもが持っている承認欲求。マズローの欲求5段階仮説にもあるように承認欲求というのは、人から承認される、認められる欲求のことです。そして人間の欲求の中でも高次に位置しています。
しかしアドラーは、承認欲求を否定している。なぜ否定しているのか、疑問を抱いている人は少なくないと思います。以下で詳しくみていきましょう。
第3章「承認欲求を否定する」について
人間は常に他者からの承認を必要としながら生きている?しかし本当に、他者からの承認は必要なのか。アドラーは以下のように言っています。
・他者から承認される必要などない
・承認を求めてはいけない
たしかに承認されたら嬉しいと思う人がほとんど。ただ、承認されることが絶対に必要なのかというと、そうではありません。なぜ他者から褒められたいと思うのか?他者から承認されてこそ、「自分には価値がある」と実感するからでしょうか。
本当の理由は、賞罰教育の影響です。賞罰教育の真意は以下になります。
・適切な行動をとったら、褒めてもらえる
・不適切な行動をとったら、罰せられる
つまり、褒めてくれる人がいなければ、適切な行動をしないということ。また、罰する人がいなければ、不適切な行動をすることです。
たとえばゴミ拾いの場合、多くの人は先にほめられたいという目的があって、ゴミ拾いをするでしょう。要するに褒めてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことするまいと決心するのです。
しかし、アドラーは「他者の期待を満たすために生きているのではない」と言っています。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」
*承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても怒ってはいけません。
仮に、社会全体から承認を得られたとして、ほんとうに幸せだろうか?
↓
例えば、仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当苦しいものになる。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えるからである。